このFS、色々と決め事があるのですが(必ず合宿すること!など)、
基本的な考え方は、参加者全員でジェットコースターに乗るということ。
ジェットコースターに乗車→絶望→素直に認める→希望→
現実性についてのダイアログ→行動を起こす。
例えば参加者の中に絶望を感じている人が一人でもいれば
全員がその絶望を共有しなければならない、というルールもあり。
ここで僕が出した絶望はこれ。
「公務員の立場として、地域のことは地域で決めてくださいと
言いながら、一市民として地域活動に参加するのが面倒くさい
自分がいる。」
地域社会に貢献することが自分の幸せにつながるはずなのに、
いつの間にか地域社会への貢献が義務となり、
結果として自分の幸福度を下げている。
そうではなく、自分の幸せがあって地域社会の幸せがある。
個人個人の幸せの集積が地域社会の幸せにつながるわけであって、
それをベースとして地域社会のあり方を考えていかなければ
ならない。
だから、これだけライフスタイルや考え方が多様化しているなら、
もう一度自分たちの地域でこれはやろう、これはやめておこう、という
棚卸しをする必要があるのではないか。
その結果、極論をいえば、地域の消防団は解散して、
今後は警備会社に任せよう(カネで解決しよう)という選択が
あっても全く問題ないとさえ思う。
ここで、個人の幸せの集積→社会の幸せというと、
合成の誤謬について言及されることが多い。
しかし、個人個人の思考や行動がバラバラであったとしても、
各個人の心を深掘りしていけば(この作業は容易ではないが)
かならず地底深くで同じ水脈につながるのではないか。
そんな気がしている。
例えばさきほどの消防団の例でいえば、ワークショップの
参加者に一般市民の方も交じって議論を重ねたところ、
そうはいっても自分たちの地域を自分たちで守るのは
大事だよね、という水脈が見えてきた。
なぜ大事なのかは正直分からないのだが、
事実として大事という共通の認識が発見されたことは
驚きだった。
今回のFSで、これまで僕がぼんやりと考えていたことが、
自分の絶望を告白し、周りがそれを共有してくれることで、
未来の姿(の一部)が自分なりにはっきり見えてきた気がする。
未来の希望を見出すには、絶望の共有が必要なのかもしれない。
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